合志市演奏会

2006.11.19

指揮者 小野富士
独奏者 吉田秀晃(Pf)
演奏曲  モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調
モーツァルト 交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
チラシ パンフレット
小野富士雑記帖

出演者
コンサートマスター 大宮伸二
第1ヴァイオリン 井手本裕律子、浦中有紀、河野真理、定永明子
瀬畑健雄、多賀直彦、東家容子、冨奥史子
第2ヴァイオリン 大宮協子、岡本侑子、可児孝英、清永育美、清永健介
多賀美紀、武智久子、益田久美、松本晋弥、山口祐子
ヴィオラ 和泉希代子、磯部哲也、太田由美子、田代典子
中澤康子、毎床一寿
チェロ 坂本一生、関 栄、瀬畑むつみ、東家隆典、深松真也
松本幸二、馬原ひろみ
コントラバス 竹内尚志、歳田和彦
フルート 泉 由貴子、中澤邦男
オーボエ 橘 徹、松本聡子、吉田千草
クラリネット 福島由貴*、府高明子
ファゴット 柴田義浩、星出和裕
ホルン 伊藤友美、川崎華奈
トランペット 出口文教、福島敏和
ティンパニ 高宗邦子
副指揮・トレーナー 山本俊之

*賛助









































歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲K.527(モーツァルト)

 「フィガロの結婚」のプラハ上演が大好評をもって迎えられたのを受けて、プラハでの上演を目的に
作曲されたオペラ。1787年にモーツァルトの指揮で初演された。ドン・ファン伝説に基づく物語は、ドン・
ジョヴァンニの放蕩とその罰としての地獄落ちを扱ったもの。ダ・ポンテのイタリア語台本に付けた音楽
は、モーツァルトの作品のなかでももっとも劇的なものである。
 序曲は石像がドン・ジョヴァンニ邸を訪れる場面で演奏される重々しい音楽で始まり、モルト・アレグロ
の主部ではドン・ジョヴァンニの女性遍歴を暗示するような活動的な音楽が流れる。



















































ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(モーツァルト)

 モーツァルトは短調のピアノ協奏曲を、20番ニ短調と24番ハ短調の2曲しか書いていない。今日では、この第20番はモーツァルトの協奏曲の最高傑作と呼ばれるようになったが、音楽が娯楽でしかなかった作曲当時の聴衆にとって、聴く者を不安に陥れるような冒頭の旋律は驚きであったと思われる。ちなみにニ短調という調整は、モーツァルトが「魔笛」や「ドン・ジョヴァンニ」といったオペラの復讐の場面によく用いた。
 この作品は1783年2月10日に完成され、翌11日の予約演奏会において初演されているが、この演奏会の模様を彼の父レオポルドは、自宅にいるモーツァルトの姉ナンネルに宛てた手紙に次のように書いている。
「演奏会はたとえようもないほど素晴らしかった・・・オーケストラも優れていた。ヴォルフガングの美しい新作の協奏曲が演奏された。我々が到着した時は写譜屋がまだ写譜の最中だったので、お前の弟はロンドをリハーサルする時間が無かったようだ」
 第1楽章:アレグロは、不安げな第1主題の呈示で始まる。やがて、なごやかな旋律が木管によって奏されるが、この旋律は長続きせず、短調のクライマックスに遮られる。曲に静けさが戻ったところで独奏が独自の主題をもって静かに登場し、続いて第1主題を再呈示する。やがて木管になごやかな旋律が戻ったあと曲は長調に転じ、独奏が軽やかな第2主題を呈示して木管に委ねる。その後、独奏の急速なパッセージをへて展開部に入る。ここでは第1主題と独奏主題が交互に現れ、複雑な転調を繰り返しながら曲は進められ、弦が冒頭の動機を導いて再現部となる。管弦楽と独奏の間に緊張感をはらんだまま曲は進行し、やがて第1主題が管弦楽の総奏で再現されたところでカデンツァとなる。独奏が高度な技巧をたっぷり披露したのち、管弦楽が勢いよく加わって感情が最高潮に達したあと、徐々に音量が下がり、楽章は静かに終わる。
 第2楽章:ロマンスは、独奏による美しい主題呈示で始まり、主題はすぐに管弦楽に委ねられる。そして、冒頭からの繰り返しにつづいて独奏が新たな旋律をもって登場し、弦の断続和音を背景に長い旋律を奏でる。やがて独奏が冒頭の主題を呼び戻し、管弦楽に受け渡すと、突如、強烈な和音を境に曲調が一変し、第1楽章の緊張感を思い出させるような楽想が続く。そして弦の断続和音を伴って独奏が奏する急速なパッセージをはさんで、冒頭の平和な雰囲気が戻り、独奏によって主題が再現される。やがて管弦楽も加わって曲に華やかさが増し、この雰囲気を保ったまま楽章は終わる。
 第3楽章:ロンド(アレグロ・アッサイ)は、独奏による急速な短調の第1主題の呈示で始まる。この旋律はすぐに管楽器に移り、反復・拡大される。嵐のようなクライマックスをへて独奏が新たな短い旋律をもって現れ、続いて第1主題を再現する。そのあと独奏が短調の第2主題を呈示し、やがて曲は長調となる。まもなく木管に舞曲を思わせる新たな旋律が現れ、独奏も加わって楽しげな掛け合いを披露する。その後、曲は再び短調に戻り、2つの主題が、途中に舞曲風の旋律をはさんで複雑に拡大されたあとカデンツァとなる。そして、長いトリルをはさんで最初の主題が独奏により再現され、続いて木管が舞曲風の旋律を呼び戻し、曲は華やかに幕を閉じる。



















































交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(モーツァルト)

 まだ八つか九つにしかならぬ少年の日、交響曲の作曲に手を染めたモーツァルトは、以来、その
短い生涯を終える3年前まで、ほとんど途絶えることなく傑作を送り続けてきた。そしてハ長調交響曲
「ジュピター」をもって、そのはるかな道程に別れを告げる。
 この「ジュピター」という標題はモーツァルト自身のものではなく、ハイドンをロンドンに招いたことで
知られているヨハン・ペーター・ザロモン(ハイドンの第93番から第104番に至る後期の交響曲は、彼
の提案を受けて作曲されたので「ザロモン・セット」と呼ばれている)の命名ともいわれているが、その
確証はない。
 いずれにせよ、ギリシャ神話の最高神ゼウス(ジュピターは、ゼウスのローマ神話での呼び名ユピ
テルの英語読み)の名を冠したこの交響曲は、その壮麗な輝きと威厳とにおいて、古典交響曲のひと
つの高峰を築くものであった。中でも、終曲モルト・アレグロ(ハ長調、2分の2拍子)での見事な構築
は、ヨーロッパの長い音楽史の中にあってさえ、ひときわ美しく光り輝く記念碑にも例えられてしかる
べきものということができるであろう。
 4つの全音「ハ−ニ−へ−ホ」で始まる主題は、古典音楽最高の範例ともいうべきソナタ形式の中で
精緻を窮めて展開され、迫力にあふれた立体の美を作り出す。実際、ソナタ形式の中に、これ程まで
分かち難く有機的に組み込まれた対位法的な手法は、容易に他の例を見ることのできぬほどのもの
である。しかも、それは縦の線で切られようとも、横の線で切られようとも、その断面は真の天才の筆
だけが描くことの可能な完璧な輝きを表している。
 この4つの音のモティーフが1枚の織物の随所にちりばめられ、それぞれに光を放っているのを見る
とき、私たちはそこに音楽のあらゆる様式がひとつに溶け合わされ、完全な統一をもたらされているの
を感じることができるのである。
 この「ジュピター交響曲」は、ト短調交響曲K.550からおよそ半月後に書かれた。「陰うつで悲劇的」
なト短調の後に、この壮麗なハ長調が作曲されたということに、人はだれしも驚きの眼を見張るだろう。
 第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェを開始する堂々とした主題は、モーツァルトが好んで取り上げた手
法、すなわち、いくつか異なった楽想を並列した形で提示される。しかし、それはひとつの全体に見事
に集約されているのだ。このことは、終楽章での「渾然たる統一」にも当てはめることができるだろう。
また、これら両端楽章では、フレーズの切れ目にフェルマータや全休止が効果的に用いられ、それが
テーマの印象をより明確なくまどりで支えているのである。そしてフェルマータで区切られた後、それ
までの部分は再度、変形され拡大されるのだが、この手法は「ジュピター交響曲」の随所に示される。
 第2楽章アンダンテ・カンタービレは下属調に当たるヘ長調、4分の3拍子のソナタ形式。ここでは
弦楽器に弱音器がつけられ、静穏な心の安らぎにあふれた歌が奏でられる。その敬虔さは俗世的な
ものをはるかに超越しているということができるだろう。
 第3楽章はハ長調、アレグレットのメヌエットで、トリオは簡潔な内容をもったもの。後半部では終楽
章の定旋律主題がほとんど原型のまま姿を見せるが、この技法はこの交響曲全体に浸透しているもの
でもあり、これが作品に揺るぎない統一の基調を与えている。