第21回演奏会

2007.7.16

指揮者 小野富士
独奏者 小野富士(Vla)
演奏曲  テレマン ヴィオラ協奏曲ト長調
ショスタコーヴィチ
/バルシャイ
室内交響曲
ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調「英雄」
演奏会関係    熊日新聞2007/7/17記事
演奏会アンケート・感想 
チラシ パンフレット

出演者
コンサートマスター 廣瀬 卓
第1ヴァイオリン 井手本裕律子、浦中有紀、大宮伸二、定永明子
多賀直彦、東家容子、冨奥史子、松本晋弥
第2ヴァイオリン 大宮協子、岡本侑子、清永育美、清永健介、瀬畑健雄
多賀美紀、山口みゆき*、山口祐子
ヴィオラ 和泉希代子、磯部哲也、太田由美子、田代典子
辰野陽子*、中澤康子、毎床一寿
チェロ 坂本一生、関 栄、瀬畑むつみ、東家隆典、松本幸二
馬原ひろみ
コントラバス 桑原寿哉*、竹内尚志、歳田和彦
フルート 泉 由貴子、中澤邦男
オーボエ・イングリッシュホルン 松本聡子、吉田千草
クラリネット・バスクラリネット 福島由貴、府高明子
ファゴット 上田 宏、柴田義浩
ホルン 伊藤友美、奥羽朋子*、川崎華奈、坂口 学*、田中禎子*
トランペット 出口文教、福島敏和
パーカッション 木野里子*、高宗邦子
チェンバロ 篠原いずみ*
副指揮・トレーナー 山本俊之

*賛助













































室内交響曲Op.83a(ショスタコーヴィチ/バルシャイ)

 原曲となった弦楽四重奏曲第4番はショスタコーヴィチのほかの弦楽四重奏曲に比べると平穏で明快な傾向の強い作品である。曲は1949年4月から書き始められ、第1楽章が5月4日、第2楽章が6月1日、第3楽章が8月28日にそれぞれ完成しているが、11月に書かれた第4楽章のみ日付が記されていない。全体は同年12月27日に完成されているが、初演は1953年12月3日、モスクワ音楽院小ホールにてベートーヴェン弦楽四重奏団によって行われている。初演が遅れた原因ははっきりしないが、1948年に中央委員会が出した「ソビエト音楽の発展に寄与せぬ作品は書くな」という、極めてあいまいでありながら強制力の強い、いわゆるジダーノフ批判が大きく影響したと想像される(非難されたのはショスタコーヴィチをはじめ、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、ミャスコフスキーなど、ほとんどすべての主要作曲家)。

 この曲を1990年バルシャイが室内管弦楽のために編曲しているが、編成はフルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、小太鼓、ムチ、ドラ、シロフォン、マリンバ、チェレスタ、弦楽五部である。このバルシャイ版は1990年7月20日、BBCラジオでバルシャイ自身の指揮で放送初演され、翌1991年1月10日、マンチェスターで同じくバルシャイの指揮で公開初演されている。

 なお、原曲はデザーナーのピヨトル・ヴィリャームスに捧げられている。

 第1楽章 アレグレット
 第2楽章 アンダンティーノ
 第3楽章 アレグレット
 第4楽章 アレグレット





































交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」(ベートーヴェン)

 初めての交響曲2曲にはほとんど逸話めいたものが何もなかったのに対して、第3番には広く知られた挿話がある。ベートーヴェンが、ナポレオンの皇帝即位の報を耳にして、「ボナパマトへ/ルイジ・ヴァン・ベートーヴェン」という献辞を記した「交響曲第3番」のスコアの表紙を、引き破ってしまったというのである。

 それまで、自由精神と人間解放の旗頭としてのナポレオンを高く評価し、彼の活動に期待注目していたベートーヴェンだが、結局はナポレオンもまた王道の野心に燃えた支配者の一人でしかなかったことを知って大いに怒り、「ある英雄の思い出を祭る」交響曲として、「シンフォニア・エロイカ」と、イタリア語で献辞を書き改めたのである。

 この交響曲は、前2作同様、急緩急急の4楽章構成だが、各楽章の形式は極限まで拡張されており、表現のスケールはまさに英雄的に壮大なものとなっている。

 アレグロ・ソナタ形式の第1楽章では展開部と楽章終止部の著しい充実ぶりが目立つが、主要主題自体が含む、第3動機のシンコペーションと転調による「とまどいの楽想」に、主要な分散和音楽想との対照を見出し、曲想の幅広さをそこに認めることができよう。

 この交響曲で最も特徴的なのが第2楽章の「葬送行進曲」。今日でも国葬の折などにどこの国でもこの楽章が演奏されている。2つの主題と「マジョーレ(長調)」の挿入部を持つこの楽章は、単純に一つの形式で書かれているのではなくて、ソナタ形式とロンド形式を結びつけ、しかもそうした形の通常の形式であるロンド・ソナタ形式というのとも違った、大規模で自由な楽想の拡がりが与えられている。形式の器の中で、ベートーヴェン得意の幻想的な即興性が大きく膨れ上がったのであろう。特に印象に残るのは、「マジョーレ」の挿入部の後の展開部に聴かれる、力強いフーガによる展開部分である。

 スケルツォは、トリオを持つ大規模なものだが、このトリオの部分で3本用いられているホルンが大活躍するのは知ってのとおりだ。

 短く力強い序奏部に始まるフィナーレは、第2楽章と対応して複雑な「形式のコンプレックス(複合)」によって書かれている。主要な基本形式は「主題と変奏」だが、主題が二つあり、第2主題提示(第3変奏に含まれる)の後で聴かれるフーガ風の展開部分、さらにそれに続く自由変奏の第4変奏には、ソナタ形式の展開部の発想が認められる。第5変奏の後にも別な形のフーガ風展開部が置かれており、結局、変奏曲形式、ソナタ形式、フーガの3形式が組み合わされていることになる。

 この構成は、晩年の大傑作「第九交響曲」のフィナーレの下敷きになっている。「第九」のフィナーレの複雑巧妙な「形式のコンプレックス」を先取りしたこの楽章の組み立てが、驚くべき完成度に達しているのは、前2作との間がさして離れているわけではないので、驚異的というべきだろう。

 この傑作に準えて、「エロイカ的飛躍」ということが、こうした飛躍的発展のケースに言われるのはゆえなしとしない。ただスケールの抜本的拡大とか内容の充実とかいうばかりでなく、作曲法における画期的な改革という面で、この曲は、ハイドン、モーツァルトの影響から脱した、ベートーヴェン独自の交響曲新領域確立の宣言なのである。































ちらし 
クリックすると拡大できます
 




































新聞記事(熊本日日新聞) 
クリックすると拡大できます